岩村城の戦い

岩村城跡

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織田信長軍 対 武田信玄軍

所在地岐阜県恵那市岩村町
訪問日2000年7月30日
関連リンク恵那市
地図





戦国時代になって遠山景任が城主の時に武田信玄の命を受けた秋山信友が東美濃に侵入してきた。
東美濃衆の遠山景任、明智城主・遠山景行、苗木城主・遠山友忠らは、岩村東方の山中で迎え撃った。
これを上村合戦と言う。
織田信長の救援を得てようやく撃退したが、遠山景行が討ち死にした。
この後元亀2年(1571)遠山景任が病死。そこで信長は未亡人の遠山夫人を城主とし、5男御坊丸を養子として送りこんだ。この遠山夫人は織田信長の叔母にあたる。
天正元年(1573)またもや秋山信友が岩村城を攻撃してきた。城兵達は堅塁を頼みに女城主をもり立て防戦したので、容易に落ちない。
そこで信友は遠山夫人との結婚を条件に和議を申し入れて来た。
いつまでも持ちこたえるのは不可能と考えた遠山夫人はこれを承諾し、無血開城した。
信玄に織田方に寝返ったとの嫌疑を受けるのを避けるために、御坊丸を甲府に人質に送ってしまった。
信長は怒ったが、信玄相手ではどうにもならず、歯ぎしりをしていた。
しかし信玄なき後の天正3年(1575)の長篠の合戦で大勝利をした信長は、翌6月に岩村城を嫡子信忠に攻撃させた。
秋山信友は信忠2万の軍勢を支えて良く防戦したが、頼みの勝頼は雪に阻まれて来援出来ない。
信長から「開城すれば城兵の命は助ける」との和議の条件が出たので、信友は降伏した。
しかし、城兵達が甲府に引き揚げようとした時、山中で待ち伏せていた織田の兵がこれを皆殺しにしてしまった。
一方、岐阜の信長のもとに連行された信友と遠山夫人は、長良川の畔で逆さ磔にされた。
この時遠山夫人は「実の叔母をこのような非道な扱いにするならば、必ずその報いを受けようぞ」と絶叫して果てたという。




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