沼田城

沼田城

石垣 石垣
石垣
石垣

復元された鐘楼
鐘楼

写真をクリックすると拡大表示します



名称ぬまたじょう
所在地群馬県沼田市
種類崖端城
遺構石垣、郭、堀跡等
築城年天文十三年(1544)
築城者沼田景秦
関連リンク沼田市
商工観光課





沼田城は利根川・薄根川・片品川によって浸食されてできた天然の要害に、天文十三年(1544)沼田景秦が築城した。
以後、上杉氏、武田氏、北条氏が北上野の拠点として奪い合った。
天正六年(1587)上杉謙信が没すると、沼田城は北条氏の手に落ち、同八年には真田昌幸が掌握する。
同十年、武田氏を滅ぼした織田信長は、上野・信濃を滝川一益に与えるが、本能寺の変直後滝川氏は北条氏と戦い破れ、本領伊勢に敗走。
再び沼田城を掌握した昌幸は嫡男の信幸を入れ、叔父の矢沢頼綱を城代とする。
その後、北条氏が執拗に攻撃するものの、頼綱が守りきり、天正十五年に昌幸が上洛、豊臣秀吉に恭順の意を表し、沼田城は信幸の居城として認められる。
しかし、北条氏直が上洛の交換条件に沼田城を要求したため、天正十七年沼田城は秀吉の命で北条氏に引き渡されるが、北条氏滅亡後は昌幸に返される。
関ヶ原の戦いで東軍に属した信幸は、西軍に属した昌幸の旧領を全て与えられ、沼田城の改築、整備を行うが、同六年上田城に移る。
天和元年(1681)分封されて沼田城にあった真田氏は改易となり、五層の天守閣を持つ沼田城は廃城になり破却されるが、元禄十六年(1703)本多正永が入封して沼田城は再築され、黒田氏を経て土岐氏が入り、十二代で明治に至る。







訪問記・平成12年9月10日

ここは現在公園として整備されていて、見るべき所はあまりありませんでした。
復元された鐘楼や出土した石垣等がありました。





[ひとつ戻る][表紙へ]