小田原城



本丸東堀跡石垣氏政、氏照の墓

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写真館



所在地小田原市城内
種類平山城
遺構本丸、堀、土塁、石垣等
築城年鎌倉初期
築城者小早川遠平
駐車場有り(有料)
関連リンク小田原市
地図





鎌倉時代初期、土肥氏一族の小早川氏が初めて小田原に城を築いたといわれています。
15世紀初めには大森氏が城主となりました。しかし、このころの城は、位置も規模も不明です。
明応4年(1495)、大森氏は伊勢新九朗、のちの北条早雲の奇襲により城を追われるが、この時の城が初期小田原城というべき城で、現在の本丸に隣接する場所にありました。
北条氏は奪取した城を中心に同心円状に城域を拡大。三代氏康は、永禄4年(1561)には上杉謙信の、12年には武田信玄の攻撃を受けていますが、二度とも篭城して防ぎ、小田原城の難攻不落ぶりを天下に知らしめるとともに、さらなる堅城を目指して、三の丸の建設に着手。
五代氏直は、三の丸を完成させると、世に名高い大外郭づくりに着手。
城下町を取り囲んだ大城郭は、天正18年(1590)に完成しましたが、その年の7月には、氏直は、篭城100日もむなしく、秀吉に投降。
ここに、五代、約100年、繁栄を誇った小田原北条氏は滅亡しました。
その後、家康の持城になった小田原城は大久保氏が入封。
慶長19年(1614)、大久保氏が改易となり、かわって城代が入ると、小田原城は家康の命によって破却され、北条氏初期の規模に縮小されました。
しかし、大外郭は全域が破壊されたわけではなく、現在も一部を見ることが出来ます。
寛永年間(1624〜43)には、城主の稲葉氏が石組みを施すなどの修築を行い、近世城郭に変貌。
その後、先の大久保氏の後裔である大久保氏が城主となり、明治維新を迎えています。
その間元禄16年(1703)の地震をはじめ、多くの災害を受けてそのつど修築されていますが、基本的な改変はさえれていません。







訪問記・平成12年4月30日

むぅぅ、期待していたのにちょっと不満。
あの本丸の動物園はなんとかならないものでしょうか?
あそこに動物園が必要なのでしょうか?
すこし考えて下さい、管理者さん。
てなわけで、まあ、お堀と石垣くらいでしょうか、見どころは。
復興天守もありますが、動物園がその存在を台無しにしています。
昨年に銅(あかがね)門が復元されたようです。が、私は復元された建物にはほとんど興味がないので、やっぱりお堀と石垣くらいでしょう、見どころは。
それと、「松を守るため土塁には上がらないでください」という立て看板があったが、土塁を守るためじゃないのかっ。
私の泊まったホテルの横に北条氏政、氏照のお墓があったのでお参りしておきました。





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