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江川家は清和源氏の流れをくみ、源満仲の二男宇野頼親を家祖とし、宇野姓を名乗っていた。
六代親治が保元の乱(1156年)に崇徳上皇について参戦して敗れ、その孫親信が従者13人と共に落ち延びて伊豆のこの地に定住したと伝えられ、この13人すべての子孫が現在でも江川邸周辺の金谷地区に居住している。
親信の子治信は、この地に流罪となっていた源頼朝の平家に対する挙兵(1180)に応じて参戦している。
その後鎌倉時代、室町時代と伊豆の豪族として地盤を固め、15世紀中頃に当時この地を流れていた狩野川の支流の名にちなんで、姓を江川と改めた。
伊勢新九郎長氏(北条早雲)の伊豆進出にあたっては、23代英住が土地を提供して韮山城を築城させ、その後五代にわたって北条氏の幕僚となった。
28代英長は徳川家康に仕え、徳川幕府が成立し伊豆が幕府の直轄地になるに及んで、代官としてこの地を統治する事となった。
以後明治維新に至るまで、江戸時代全期を通じて代々徳川幕府の代官を世襲して勤めた。
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